市長が熱唱


今年も熱唱! 新成人にAKB48・福山雅治の曲を披露する阿蘇市長が超カッコいい!!という記事より
http://rocketnews24.com/2012/01/10/170916/


政府の統計によると、今年成人式を迎えた満20歳の人口は、
もっとも多かった1970年(246万人)の半分、
122万人だったそうです。
ずいぶんと減ったのですねー、
これからもっと減るのだろうなー・・・。

そんな新成人に、毎年「魂の叫び」ともいえる歌を
送っている九州・阿蘇市の市長が、
今年も熱い歌声を届けてくれたとか。
佐藤義興市長は、成人式の日になんと2曲に披露、
若者に渾身のエールを送ったとのこと。

市長の歌はお世辞にも上手とはいえない、
増して無伴奏であるために、「ちゃんと歌いきれるのかな?」と、
ちょっと心配になってしまうほどだが、
恥も外聞も気にしない市長の姿勢には、
成人でなくとも励まされる思いがするから不思議だ、
とあります。

両方見ました。
福山さんの「家族になろう」は、
新成人に送る歌としては“?”ですが、
頑張ってらっしゃるなー、と感心します。
わたしだったらこんなパフォーマンスする
度胸ありませんもの。
しかも当の本人はこれがエールとなっていると
信じてやっているのでしょうから、立派なものです。

「家族になろう」を歌いながらエアギター
もどきもやっていますが、ギターはあんな風に押弦しませんって!
福山さんってそういえばギター弾きながら歌うな、
と気づくまで、ハープか何かと思っちゃいましたよ。
お茶目な市長さん^^

グレゴリー リュック
posted by QP at 00:18 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

福島第1 作業員がノロウイルス感染

作業員がノロウイルス感染=三菱重工関係の52人―汚泥タンク工事中断・福島第1という記事より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111217-00000045-jij-soci

うーん、ただでさえ劣悪な環境下で
仕事をしていただいているのですから
衛生面には十分気をつけていただきたい。

ノロウイルスに感染って
最悪ですね・・・

ノロの恐ろしさは
身を持って知っているので、
タイトル読んだだけで戦々恐々。

東京電力は17日、同社福島第1原発で
放射能汚染水の処理後汚泥タンクの
増設工事に携わっていた三菱重工業の
社員や関連企業作業員計52人がノロウイルスに
集団感染したと発表した、患者の一部が入院したが、
大半は病院で治療を受け、回復傾向にあり、
患者数はさらに増える可能性があるそうです。

東電によると、15日に作業員らが宿舎から
バスで福島県広野町にある三菱重工の事務所に向かう途中、
発熱や下痢、嘔吐などの体調不良を訴えたのだとか。

フランス・アレバ社の沈殿式除染装置から
排出される汚泥の屋外タンクの増設工事中だったが
集団感染の影響で工事は中断され、
宿舎か弁当などか感染経路は不明で、
東電は衛生管理や手洗いの励行などを
呼び掛けているとのこと。


最近ノロ感染が地方でも拡大しているようで、
かなり恐怖しています。

それにしても、東電さん、手洗いや
衛生管理の励行を呼びかけ、ですか、
なんだか他人事のようですね。
ちょっとは見舞金くらい出すのですよね?
しょせんは下請けだから関係ないのでしょうか。


posted by QP at 18:02 | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

十二分に読み応えあり

銀行内の現実味あふれた真剣勝負で十二分に読み応えあり。

池井戸潤氏の名前は知っていたが読んだことはなかった。
初めて手にした本書は非常に面白く満足できた。
題名から横田濱夫氏的銀行小説かとたかをくくっていたら全く違う。
江上剛氏が描く銀行トップの抗争や反社とは違う。
高任和夫氏の描く50歳前後の窓際族行員の悲哀と喜びとも違う。
現実に銀行内にある話が緊迫感もって展開され、内容は正しいし、中堅行員となった入行同期の連携、活躍が素晴らしい。
本書はバブルで空前の大量採用時代の行員同期の話で、出世コースに乗った者、脱落してしまった者、勧善懲悪の頼るになる同期がいる、持ち場持ち場で支援する同期がいる、そのバブル入行組の活躍が清々しくもあり、行内での力関係や人間関係がおどろおどろする。
「東京中央銀行」は旧産業中央銀行と旧東京第一銀行が合併し、ご他聞にもれず「Tだ、Sだ」と摩擦は大きい。
主役の営業第二部の半沢次長、法人部の時枝調査役、半沢への協力者の渡真利、システム部から取引先企業へ外部出向第一号の近藤等々の同期が、行内の不審な動きの解明に或いは金融庁検査対応に、結束強く協働して当たる。
所管部移管がなされた「伊勢島ホテル」の巨額投資損失事件と、近藤が出向先の「タミヤ電機」の浮き貸し事件や粉飾決算をめぐり、そこに金融庁検査、特に銀行いじめの悪名高い検査官が加わり、各担当部、関連部が非常に難しい対応を迫られる。
しかも読者と等身大の日常の銀行内また取引先とのせめぎあいだ。
特に早々と外部出向となった近藤は、行員受け皿として銀行に恩を売り利用したい社長であり、よくありがちな出向・転籍劇であり、軋轢が生じ居心地は悪くなり、銀行に戻るケースが実際に多い中、近藤は不透明な財務経理の解明に社内で孤軍奮闘頑張る。
半沢と金融庁黒崎、近藤とタミヤ電機社長、これらのバトルも読みどころである。
昭和40年以前の入行者、昭和44年から48年位の入行の団塊世代、そしてバブル入行組、それぞれの社会経済背景や組織の中での巡り合わせで、悲喜こもごもの行員人生である。
ただ時代の順番に給与、退職金、企業年金基金等の経済的なメリットが少なくなってきたことは確かであろう。

バブル世代の銀行員が銀行や企業の不正に真正面から立ち向かっていくストーリー
バブルという好景気と不良債権・リストラという不景気の両方を経験しているバブル世代が、銀行や企業の不正に真正面から立ち向かっていくストーリーで一気に読んだ。
エリートコースを渡り歩いてきた半沢と、忙しさから病気になって出世コースから外れてしまった近藤、立場が正反対の二人が同期同士でお互いを励ましながら自分が信じる道を貫く様子は読み応えがあった。
金融庁の黒崎と半沢の対決はお互い論理的な主張を展開していて読み応えがあったし、銀行内部の不正告発も根回しの様子がリアルに描かれていて最後まで目が離せなかった。
特に近藤が銀行員としてのプライド、今まで支えてくれた同期への友情、家族への苦労を天秤にかける場面は緊迫感があってよかった。

働く、ということ
融資実務の著作もある元銀行員で銀行や金融の現場を舞台にした優れたエンターテイメントを送り続けてくれる作家による、最新刊が、ようやくでました!『オレたちバブル入行組』の続編にあたり、かつて悪質な融資先から融資金を取り戻すために活躍した面々が、こんどはお役所相手のバトルと巨額損失を計上しかねない融資先を救うため八面六臂の大活躍です。
池井戸潤氏の作品は、どれも面白いですが、一方で、いろいろ考えさせられます。
ほとんどの物語の舞台が銀行なので、基本は数字をベースに動くことになります。
でも、お金の流れに「還元」して世の中の動きを描写するだけではなく、そこには、お金の流れに「還元」するからこそ、お金の流れだけでは描写しきれない何かが浮かび上がっています。
それは、「働くということ」の意味だったり、「仕事」ということの持つ、世の中への「責任」だったり、「仕事」を介して世の中に「参加」するっていうことだったりします。
非正規労働やワーキングプアの問題を含め、社会福祉政策の貧困が問題視されています。
この問題は、行政の予算問題や、大きな背景としての世界経済の動向に関連付けられて論じられることが多く、結果として「財務」の話に落とし込まれてしまって、むしろ問題の一方のテーマである「労働」と「社会参加」の要素がないがしろにされているという局面があるようにも思えます。
「経済=財務=お金の流れ」と、「労働=社会参加」を別けて論じることはできないのか?とか思いますね(もちろん財務は、とってもとっても大事ですけど)。
もしかして、もしかすると、アルチュセールや廣松渉は早すぎたのかも。
今こそ、マルクスが読み返されなきゃいけないのかも、とか。
【追記】むしろサルトルか、とか(いずれにしろ忘却の彼方ですが)。
そんなことまで考えさせられ、期待に違わぬ面白さでした。
オレたち花のバブル組池井戸 潤

サマンサタバサ
タグ:バブル 読書
posted by QP at 19:14 | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

孤独であるというのは、どういう結末であることか

昭和の政治家の一神話
架空の政治家の姿を借りて、実際の昭和の政治家の在り様をその一身にまとわされた福澤一族の王たる榮という主人公。
その孤高の最終決断は、シェイクスピア劇の畳み掛けるラストの如く圧巻で、痛快。
作者は、男性だったら、斯様な人生の幕引きをしてみたかっただろうか。
きっと書き上げてさぞかし小気味良かったことだろうと、想像。
榮が唯一愛した晴子以外の女連の描かれ様には、女の嫌な面のオンパレードだったわけだが、この榮の最終措置に、わたしも溜飲を下げた。

小説家の枠を越え「政治・宗教」と対峙した気概溢れる圧倒的な作品
上巻の第一章は、口頭での榮の政談、彰之の宗教談義だけで哲学書風に構成すると言う破天荒な出だし。
第二章で、ようやく<王>と一族の考察に入り、題名に沿って来た。
作者に依れば<王>を創り出す要諦は「能動」だと言う。
ならば崩壊の予兆は「閉塞」か ?下巻も榮と彰之の宗教談義から始まる。
政治家とは思えぬ高邁な精神と仏教知識を持つ榮。
二人の会話は相変わらず抽象的な哲学論だが、卑俗な面を見せるのは彰之と言う皮肉。
早速、男女間の「閉塞」が語られる。
一方、榮の政談は国政を語っていた上巻では新鮮味に欠けたが、青森を焦点にした途端、迫真性を増した。
原子力発電所と建設業界、原子力船寄港と漁業補償、地方におけるインフラ整備、地方の政治風土と中央政界との関係等の諸問題が生々しく精緻に語られ、作者の筆力を再認識すると共に、舞台を選ぶ眼にも感心した。
抽象論に終始した上巻より物語に求心力があると思う。
特に"金庫番"英世の造形が巧み。
第三章中の「息子たち」は本作の中核とも言うべき榮の回想談で、<リア王>を踏まえて、<王>の危惧は"時代が自分を追い越して行く事"、<娘>の反乱は"資本主義のニヒリズム"と喝破する。
余りに時宜を得過ぎた宣託で、現代社会の根本問題に毅然と対峙する作者の孤高の姿は、最早小説家の枠を越えてしまった感がある。
榮が<サクラマス>が乱舞する幻想を見るラストも印象的。
もう一つの反乱分子秋道の影と合田の登場は次作(未読)への伏線だろうが、三部作がどう収斂するのか楽しみである。
小説としての成否は兎も角、社会を覆う諸問題を「政治・宗教」を切り口として描いた作者の気概と透緻した思索は読む者を圧倒する。
ただし、「現代のシェークスピア」ではなく、やはり「現代のドストエフスキー」と感じたが。
表紙を飾るレンブラント画「瞑想する哲学者」は、まさに本作の象徴として相応しいと映った。

私の中で高村氏の評価はいつも五つ星である
『新リア王』も何とか読了。
政治と宗教をど真ん中から扱ったという点で読後感はシェークスピアというよりドストエフスキーに近い。
感想はなかなかまとまらない。
一般的読者は「リビエラ」や「合田」の登場を願うようだが、もはや世界は変質している。
本書を読んでいる間は、正法眼蔵でも併読しようかとさえ思ったが、高村氏の主眼が仏教にないことが下巻で明白になったので、それは止めた。
ではと、ハイエク的リバタリアニズムとかケインズ主義の基本を少し補強しておこうとも考えたが、それも止めた。
高村氏の主眼は、政治を扱いながらも政策の優劣とか対決にはない。
2009年8月の衆議院選挙における政権交代を知った我々は、斜めから彼らの政治議論を眺めることになろうか。
宗教や政治の理念と現実、政治の真実、権力闘争、世代交代といったものよりも、この小説の主眼は父子の虚実の対話そのものにこそあり、この対話劇を楽しめない読者には本書はつらいだろうと思う。
対話の果てに辿り着くのが、孤独であるというのは、どういう結末であることか。
救いはあるのか。
高村氏がこの地平まで来た以上、オウムを扱った『太陽を曳く馬』を読むのは当分先になりそうである。
新リア王 下高村 薫


posted by QP at 15:39 | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

弾くのでなく、振るんだ

プレヴィン(アンドレ)のラフマニノフ 交響曲第2番
ジャケットの上着が独特かも

高校生の頃ピアノ協奏曲第二番からラフマニノフに興味を持ち始め、当時よく聞いていたアシュケナージが「弾くのでなく、振るんだ」と思って大学の時に買ったCDがコンセルトヘボウの交響曲2番(と、リン・ハレルと協演したチェロ・ソナタ)でした。その後、しばらく聞いていなかったのですが、ふとしたきっかけでマゼールBPOの交響曲2番を聞いて興味が再燃し、アマゾンのレビューで、この作品の普及の功労者、というかエバンジェリストたるプレヴィンLSOの完全全曲版に辿り着きました。ピアノ協奏曲を彷彿させる甘美な第三楽章と、有名なヴォカリーズ(オケ版)は、誰が振っても「良いものは良い」ので、ここでは触れませんが、第一楽章の構成と第4楽章の躍動感は、個人的にはこのプレヴィン盤の解釈が一番好みでした。それにしても、高校生の頃は高くて滅多に買えなかったのが、今では千円ちょっとで名演が手に入り、聞き比べも出来てしまうなんて、本当にいい時代になったと思います。

ラフマニノフ:交響曲第2番(完全全曲版)

posted by QP at 00:51 | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヘイリーの良さをフルカバー

ヘンデルのクリスタル~クラシカル・フェイヴァリッツ
「私を泣かせてください」に感涙

彼女の透き通るような美声は、クラシカルな曲に素晴らしくいかされる気がします。
既初CDに収録されたヴィヴァルディやフォーレのクラシック曲は、私のお気に入りです。
このCDは、クラシカルな曲が多く収録されており、なかでも、「私を泣かせてください」は秀逸です。疲れたときに聴くと本当に癒されます。
この1曲を聴くだけではなく、他の曲も素晴らしい出来です。「アヴェ・マリア(カッチーニ)」の高音域までの響きに圧倒されます。
アンドレア・ボチェッリとのデュエット曲「誰も本当の愛を知らない」も収録されているのもうれしい限りです。

ヘイリーの良さをフルカバー

「題名の無い音楽会」の放送で聞いたアヴェ・マリア(カッチーニ)に惚れこんで買いました。白い巨塔を始めいろいろなドラマやドキュメンタリー、CMのバックに流れているお馴染みの曲ばかりです。とにかくヘイリーの声の透明感が素晴らしいしです。若々しくて瑞々しくて、雪解けの山のせせらぎのような素晴らしい音色に心が洗われます。

透き通った声

ガツガツした曲でなく、落ち着きたい時などに気楽に聴けるのが良いです。
それにしても本当に歌声が綺麗ですね。

ヘイリーのアルバムはいくつか出ていますが、収録曲が重複している事が
多いので、その辺の無駄買いが出てしまう点が☆?1です。

クリスタル~クラシカル・フェイヴァリッツ
posted by QP at 23:54 | 話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ワルツあたりのノリっぷりは前人未到

甦る名演。いい時代になりました・・・。

同指揮同オケで別録音のLP(ツァラトゥストラのみ)を愛聴しておりましたが、こちらの演奏は情熱と強い牽引力が魅力です。(繊細さではLP盤の演奏が上かな?)。
なにはともあれ、ライナーの強いカリスマと意志を感じさせる堂々たる演奏です。シカゴ響の流麗な響きも、特にツァラトゥストラ後半部のワルツあたりのノリっぷりは前人未到にして空前絶後だと思います・・・。

「ツァラ〜」「英雄の生涯」の最初に買うべき1枚!

半世紀前の録音とは思えない見事な音質でSACD化された。とはいえさすがにヒスノイズが多いので(「ツァラ〜」の冒頭はさすがにヒスノイズが気になる)満点にするのは迷ったのだが、演奏をも一度聴きなおして、値段、カップリングを考慮に入れ、満点とした。「ツァラ〜」は現存するあらゆるレコード・演奏の教科書。これより前進してない演奏がゴマンとある。「英雄の生涯」も見事だ。それでいて廉価。初心者は迷わず購入ボタンをクリックすべし。(注;ヒスノイズ;アナログテープ録音にはかならずつきまとうノイズで高音域にシューと持続的に聴こえるノイズ。カセットテープを聴いた事のある人ならあれがそうだ。・・・今やカセットテープすら知らない世代が登場しつつある恐ろしい。。。^^;)

Also Sprach Zarathustra / Ein Heldenleben (Hybr)

posted by QP at 20:38 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

頭の中を洗いざらい全部ぶちまけた感じの迫力と覚悟

いしいばなし
東京のいろいろな顔がみえておもしろい。

SFありホラーあり人情あり、このごった煮感がまさに東京の街を表している感じがします。

いしいしんじが物語作家として花ひらく前の原点が見れるようでおもしろい短編集でした。

物語作家が誕生するまで
最初、【とーきょー いしい あるき】と言うタイトルで発表された、この作品集。

東京の街を舞台にした短編が全部で18篇収められている。

【幻のデビュー作】と言われるだけあって、いしいさん自身が主人公であろうと思われる毒舌たっぷりの私小説的作品から、星新一風なショートショート、不条理小説、果ては、鴉の書いた日記まで。

現在の、いしいさんの作風とは若干異なるテイストの物語を楽しむ事が出来る。

頭の中を洗いざらい全部ぶちまけた感じの迫力と覚悟が凄い!実際この本を発表した後、本格的な小説家活動を開始するまで数年の空白期間があるようで、故中島らも(その辺の問題で対談)のサイン会に、ふらっと現れた時には「生きとったのかぁ!」と感動されたりしているし。

天性の物語作家いしいしんじは、こうして誕生したんだなぁ。

特に、浅草の老ホームレス【先生】(寺の住職だった人が五十歳を過ぎ、坊主とコジキは三日やったらやめられんってホンマか?を確かめに家出、それから20年浅草の主。

)との話が秀逸!!笑えて泣ける傑作です、是非どうぞ。

再発見
私は夜の東京が大好きです。

この本は少しロマンティックで、それでいて鋭く東京の夜を沢山描いた短編集です。

下北沢から始まり、割と下町が多いのがとても好印象でした。

東京の夜にはまだまだ魅力があります。

東京夜話 (新潮文庫)いしいしんじ

posted by QP at 18:51 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヘンデルに始まりヘンデルに終わる/ツモリ

クラシック初心者
どこかで聞いたことがある耳にした曲が入っていたのでクラシック聞いたことない方にはお勧めだと思います
良い時代になった
ヘンデルに始まりヘンデルに終わる、というだけで、この編集者がイギリス人であることが知れるようなものですが、シューマン、リスト、ブラームス、ワグナー、ブルックナー、ラヴェル、バルトーク、ストラヴィンスキーといった著名な作曲家の作品が1曲も含まれていないことからしても、単なる「有名曲の寄せ集め」ではないことがわかります。

それは、ある一定の「気分」に沿って、まるでクラブ系DJの感覚のように、全体の流れや統一感を重視し慎重に選択された見事な選曲だと思います。
つまり、この企画者は、初心者向けとかカタログとかいうことではなく(結果的にそうなることがあったとしても)、基本的には現代の生活におけるクラシック音楽の「新しい楽しみ方」を提案しているということだと思われ、そのことに強く共感します。
したがって収録された楽曲は「クラシックを代表する名曲」というようなものとは明らかに違った基準で選択されていて、その9割以上がオーケストラ曲またはオーケストラ伴奏曲です。

器楽曲、小編成の室内楽、ピアノ伴奏曲などはたまにアクセント的に置かれているだけで、たとえばピアノ独奏曲はベートーヴェンとドビュッシーの計2曲しか無く、ショパンもサティもありません。

また、全体の3分の1が声楽曲ということも特徴的だと思います。
やや保守的/良識的な解釈の多いEMI音源というも、こうした企画には良かったのかもしれません。

1960年代の録音も少なからず含まれますが、演奏と録音が一級品であることに間違いはありません。

全体のちょうど4分の1、25曲が楽曲あるいは楽章の一部分を抜粋したトラックですが、それも決して安易なフェイドイン/フェイドアウトではなく、音楽的な見識の確かさを思わせる編集で、原曲を知らなければそれが抜粋であることすらわからないくらい、個人的には不自然さを感じませんでした。
いまだに教養主義的な感覚から聞き手の方で勝手に敷居を高くしているような所もあるクラシック音楽ですが、このコンピレーションの「軽やかな豊かさ」は、もっと自由な新しい楽しみ方を提案しているように思われます。

BGMにも良し、カーオーディオで聞くも良し、iPodでシャッフルするも良し。

良い時代になったものです。


これで毎日がクラシック

クラシックに興味がわいて買ってみました。


聴いていると中には「CMで使われてたな」とか、「近所の歯医者でかかってた」なんてことがあるかもしれません。


個人的に100曲あっても1曲もはずれはなかったように思います。


買ってよかったと思えるCDです。
ベスト・クラシック100
フィルハーモニア管弦楽団
ツモリチサト 財布
タグ:クラシック
posted by QP at 03:00 | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キャス/まったく、彼女の文章には惚れ惚れしちゃう

青い瞳に魅せられて。


物語の主役は、“わたし”とユーリ叔母さん、 そして彼女らが住んでいるお屋敷に散在する剥製。

伯父さんが亡くなって、ユーリ叔母さんは 形見の剥製や毛皮の敷物に刺繍を施し始めた。

Aの文字。

カリブー、ヤク、ベンガルトラ、カモシカ ジャンガリアンハムスター、、、屋敷を埋め尽くす動物たちに刻み込まれる A、A、A、A、A・・・ 震える手で針を刺す老婆の姿と、 それを見守る“わたし”と、強迫性障害を持つ恋人ニコ。

小川氏は“空間”を描くのがなんてうまいのだろうと思う。

まったく、彼女の文章には惚れ惚れしちゃう。

そして、描かれる人物は皆とても魅力的だ。

物語の要ともなる、ユーリ叔母さんの瞳ひとつを描くにもうっとり酔いしれてしまう。

さるきちは、目を閉じてその幻想的な青い瞳を想像する。

さて、ところが、穏やかで安らかな彼女らの生活は、 剥製のブローカーである男オハラが屋敷を訪ねてきて一変する。

オハラは雑誌「剥製マニア」にこう記す。

「彼女はアナスタシア皇女ではないか 」それはロシア、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の王女。

革命により虐殺されたとも、生き延びたとも。

その消息は不明。

「ユーリ叔母さんは本モノのアナスタシア皇女なのだろうか」 そんな疑惑とともに話は展開されていく。

これまた、小川洋子らしいグロテスクで甘美な物語である。

本書で面白いのは、「剥製マニア」の記事が挿入されているところ。

即ち、“わたし”ではなく、客観的、一般的な視点での描写があるのですね。

もちろん、こうした手法はよくあることなんでしょうが、 さるきちが連想したのは、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」。

そこでも、オカダトオルがナツメグ、シナモンと潜伏していた屋敷 について新聞記事というカタチで挿入されていました。

さらに、小川氏がロマノフ朝を題材にしたことも、 村上春樹的なものを感じてしまうのです。

「ねじまき鳥クロニクル」において、村上氏はノモンハン事件について 深く掘り下げました。

村上春樹と小川洋子を好み、さらに、 小川氏が村上氏を尊敬しているという事実を知っているが故に 村上氏の作品を模倣しているのかなあ、とか なぜ小川氏がロシアの歴史に手を出したのか その背景も探ってみたいなあ、とさるきちは思ったのでした。

いつまでも、小川氏の世界に浸っていたい。

そんな風に思わせてくれる、素敵な一冊です。

お得意の”グロテスク”
一見無関係に見える様々な要素を絶妙に組み合わせて一つの作品を練り上げることに関して、小川洋子はほとんど天才だと思う。

グロテスクな剥製たち、青い瞳をした老女、強迫観念症の彼氏。

日常からちょっとずつはみ出した人々が紡ぎ出す物語は、日常に寄り添う形の非日常だ。

剥製に囲まれた不思議なおばさんの話
小川洋子の抑制されし淡々とした文体にホッとして心がはやる。

村上春樹の中期の作品の雰囲気を思い出すのは私だけだろうか。

グロテスクでエキセントリックな世界を描いているのだけれど、小川洋子の筆にかかると生臭さが消えて、何かの結晶のような崇高で繊細なものに気配を変える。

壁、廊下、到るところに剥製・毛皮が飾られた洋館に住む亡命ロシア人の未亡人。

姪の「私」は彼女があらゆるものに縫い付ける刺繍の密かな謎に首をかしげる。

デザインはいつもデザイン化された「A」一文字。

彼女のイニシャルでもないし、どんな意味が隠されているのだろうか・・・。

強迫観念に病むこころやさしき青年の奇妙な儀式も印象深い。

湖のそばに建つ洋館を舞台にした切なく静かな奇憚。

貴婦人Aの蘇生 (朝日文庫)小川洋子
キャスキッドソン バッグ
タグ:小川洋子
posted by QP at 18:07 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする